Dentalism36号
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7Dentalism 36 AUTUMN 2019嫌だったんです。ちょうど反抗期でもありましたので、父に対する反発心もありまして。それで何かしようと思ったときに、父の兄が歯科医師で、小さい頃から歯科の世界も見ていましたのでこちらに進もうと考えました。――お父様から影響を受けられたことはありますか?瀧野 父は学会で世界中を飛び回っているような人であまり家にいませんでしたので、寂しい想いがあったのか、子供の頃は反発ばっかりしていましたね(笑) ただ、今から考えると、尊敬できる部分もたくさんありました。仕事に対してのストイックな面ですとか、非常に腰が低くて偉ぶったりしないところですとか。そういう人間的な面は勉強になりました。 あと、私が大学3年の時に父が亡くなったのですが、それが大きなターニングポイントになりました。それまでは大学でもあまり勉強をせず、卒業すらできるかどうかわからない状況でした。父が亡くなったことによって、自分を見つめ直して少し変わることができたんだと思います。実は今ちょうど、母校の三年生に歯周病の講義をしているのですが、その中で「私も君たちと同じ大学3年のときに、父親が亡くなったきっかけもあって自分でスイッチを入れて頑張ったんだよ」ということを話しています。そうしたら先日、一人の女子学生が「私も父を亡くして奨学金で大学に通っているんです。先生の講義に感動しました。私も頑張ります」と言いに来てくれて嬉しかったですね。――卒業後はすぐに働かれたのですか?瀧野 京都のクリニックで、勤務医として働かせていただきました。父親ぐらい年の離れた先生で、非常に可愛がっていただきました。ただ、そのクリニックがただのクリニックではなくて、1日に160人もの患者さんが来院される人気の歯科医院だったんです。その数の患者さんを院長と私の2人で診るんですが、毎日診療を終えるのが夜の11時という今では考えられない状態でした。そんな状況でも、院長は昼休みなしで、おにぎりを食べながら診療をしたり技工をしたりしていたんですよ。――それだけの患者さんが来院されるクリニックはあまり聞いたことがありません。瀧野 自分がどれだけ疲れていても、患者さんのために働かれていましたから、そういう想いや人柄が伝わっていたんでしょうね。それだけの数の患者さんが来ていても、目の前の患者さんに対して本当に真摯に向き合われていたのが印象に残っています。人として患者さんとどう向き合うか、コミュニケーションの取り方などを学ばせていただきました。――ご自身で開業された後はいかがでした?瀧野 幸運にも集客に苦労することはありませんでしたが、技術がなかったので治療が上手くいかず悩みました。そんなときに、先輩からJIADSの存在を教えてもらい、すぐに受講したんです。それまでは本を読んだこともなければ、セミナーにも参加したことがありませんでしたから。――JIADSのコースを受講されてみてどうでしたか?瀧野 一番大きかったことは、仕事の楽しさを感じられたことですね。それまでは仕事をしていても楽しさをあまり感じたことはありませんでした。私の大学の先輩でもありJIADSの元理事長でもある宮本泰和先生に出会えたことも大きかったですね。私は単なるJIADSの一受講生だったのですが、出身大学が同じだったこともあり、目をかけてもらいました。私は本当に仕事や勉強が嫌いで、コースを受講してからも時折脱線して遊びに走ってしまうことがあったんです。そういうときに、宮本先生が「お前、どうしてるんだ。勉強会に来たらどうだ。学会に来たらどうだ」とか、外れかけた路線を戻してくれたんです。後からお聞きした話ですと、「こいつは今はダメだけど、向いているベクトルさえ変えてやればすごい伸びるやつだ」と思っていて下さったそうです。――宮本先生から大きな影響を受けられたのですね。瀧野 そうですね。ただ、宮本先生は小野善弘先生に影響を受けられたでしょうし、小野先生はネビンス先生に影響を受けられているでしょうし、JIADSにはそういう流れがずっとあるのだと思います。諸先輩方には感謝しかないですね。運良く1999年にJIADSのハーバードコースにも行かせていただき、貴重な経験もさせていただきました。その10年後に

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